水  琴  窟  庭  園
      
水琴窟その1    (その2・下段ページ)

  客殿前坪庭の蹲と水琴窟(4作目)       水琴窟を造るきっかけとなった本
      
  日本水琴窟フォーラム正会員でもある住職が自らおよそ20年をかけてつくり続けている恵法寺の水琴窟庭園
 
昭和54年12月、恵法寺の住職に就任。早速、寺の平庭と柿畑を「小さいながらも味わいある
京都・鎌倉にある寺庭を夢に」手探り状態で名庭写真集や購読していた専門誌「庭」等を参考
書として庭造りを自らの手で始めました。

 きっかけは、それより5年前になります。大学を卒業して結婚 (昭和49年3月)。すぐに妻の
実家の静岡県芝川町の長遠寺住職となりました。六町歩の山を持ってはいましたが小さな山
寺でした。その庭の手入れをすることになってから庭に興味を持つようになったのです。
 
 しかし、そこはわたしにとっては恐ろしい庭でした。草を!!、剪定を!!、
その目の前には大きなヘビ。小さなヘビ。便所の廊下には、青大将の姿や
脱け殻が垂れ下がっていたり。池には、何十匹というカエルにヘビヘビヘビ
「へえビックリして」 毒があるというヤマカガシ、マムシも。戸が開かないので見ると戸袋の中
にも大ヘビが入っていることも度々。このことさえなければ温暖ですごしやすいところです。

 やっと?5年後、ヘビのいない恵法寺の住職になり冒頭の通り庭造りを開始。
畑に!庭に!軒下に!「石が転がっていてじゃまだから」と聞くと頂いてきたりしています。
もちろん供養のためではありません。かといって捨ててあげるためでもありません。
 ここは、お寺です。庭に生かすことが使命だと考えています。
決して石の墓場ではありません。
いくつもの石や物が生かされ、よみがえり庭園の風景の一部分となって各々の存在を示してい
るのがここ恵法寺の「恵みの庭」です。
 
 よく「自分でしないで専門家に頼んだら」と言われますが、一応自分の体と相談しながら出来
る限り続けて行こうと思っています。十年ほど前、檀家の方が奥飛騨の石を寄付するからと言
って大型トラック3台の石を早朝届けてくださいました。その石も今日はあっちに、あさってはこ
っちに(ライク・ア・ローリングストーン/ボブ・ディラン)と年がら年中、転がり、歩かされていま
した?が、最近やっと定住する位置が決まって(?_?)
もうここから動かすなよとでも言っているような長期間にわたる素人の庭造りです。

 そんな庭好きの縁で静岡の植木屋さんが来寺した時、雨どいの中のカエルが美声を発して
寺の建物中から雨どいを通じてその音を響かせていました。その話から「地面の中から音がす
る仕掛け(水琴窟)が有るんだっていうよ」と言うことを聞いたのが始めでした。その時は、ただ
話に聞いただけと言う程度の認識でしたが…
 その後昭和55年発行「庭=THE GARDEN」54号(1980.10)に造園技法<音を楽しむ水琴
窟>と題して、平山勝藏氏が書いた文により水琴窟の構造・設計図等の存在を知りました。
 しかし、この時も、文中の図面等により水琴窟の構造は、ある程度把握できましたが、その
音を理解することは出来ませんでした。
 それを参考に第1作目は梅漬けの壺製の物でしたが音もですが底の口に人が乗って割れて
しまい失敗。今では思い出として心に残っています。2作目は、富士市のジャンボエンチョウで
買った壺に不恰好な穴を開けた物でこれも音はするけれど失敗作。今では姿のある思い出の
物として庭に飾られています。

 昭和60年暮頃、妻の久美子が「ねぇ!ねぇ!ねぇ!(私のことです)」と息を切ってわたしを
探して走り回っていました。「いくら探したってねえものはないよ」と言った私に「聞いた!聞いた
よ今NHKで水琴窟のことをやっていてネ。……あれが本当の水琴窟の音なんだねー。家のと
はちょっとというか、だいぶちがうよねー」と。音も聞いたことがなく作っていた私に言ったこと
が、現在の水琴窟庭園づくりのきっかけとなったのです。その時、「やっぱりちがうのかなぁ」と
工事をやり直すため掘り出されたのが前出の2作目の壺(かめ)です。

 18歳のころよりオーディオに引かれアンプやスピーカーの自作を楽しんで、廃品として壊れ、
捨てられた、ピアノの胴木で作ったバスレフやバックロードホーンのスピーカーから出るR&B・
ソウル・ロックにのめり込みました。それらの音楽とは、また、一味も二味も違った、シンプルで
あると同時に繊細かつ複雑な水琴窟の音色に、こころ引かれ取り付かれていったのも当然の
流れ。縁でした。まさに大地の音なのです。
 そんな水琴窟作りも早や四半世紀25年にもなろうとしています。
上の写真の水琴窟は、30cm位の小さい九谷焼の壺を大地に伏せたものです。響きは期待
できないのを承知で作りました。

「誰でも悟りを開くことが出来る。生きて仏になることが出来る」というのが当山の教えです。
 壺の大きさ、状態がどうであれ音はします。その音は音なりに精一杯響いているのです。心
が晴れないときに心安らぐ音色。音を追求することも大切ですが良い音とは・・・?となるとそれ
ぞれの想いで変わります。

 以前は、音を追及していましたが最近ではちょっと考えを変えてみました。
 「梵鐘を心に響く良い音という人」「うるさいという人」「川の流れの音が邪魔な音だ」と思うとき
もあります。どんなものでも受け入れられる心の余裕を得られたとき、どの水琴窟でもその良さ
が解るようになればいいなと思って作っています。
 「良い音の水琴窟だけを」では、その本質から外れていると思います。例えば僧侶のお経の
声、高音に低音、しゃがれ声に透き通るような声、それぞれ良い持ち味の声として、祈りの声と
して受け入れられています。
 
手水鉢で使い捨てられた流水が心に響く音としてよみがえってくる。「再生=リサイクル」。良い
音・悪い音と区別して受け入れる・・・?。皆さんは、各地にある様々な水琴窟の音色について
どう受け入れますか?。




恵法寺 水琴窟その2



七福堂南側庭園の蹲(つくばい)と二連式の水琴窟(5作目)


交通量の多い幹線道路山梨の石和町四日市場交差点〔国道20号〕沿いの境内、騒音の中と
いう悪条件でも心を澄ませば聴き分けられるようになることを知った二連式の水琴窟

苔の間をしみ通って来た清浄な水が手水鉢からあふれさまざまな流れを作り
地中の壺(甕)へと導かれていく。
かつての東西文化・仏教美術の交流。シルクロードに因み
イタリアの壺、常滑の壺へと滴り落ちる
以上二つの水琴窟のほかにギリシャと中国の壺による和音の水琴窟(6作目)。
ユーモラスでひょうきんなタヌキの焼き物で知られる信楽焼きの登り窯で焼かれた
大壺による低い音色のにぎやかな水琴窟(3作目)と上記の九谷焼の壺。
あそびごころをも加えた、
七色の音色を楽しむことができるのが恵法寺の水琴窟です。

最近テレビで流れている田中美佐子さんが出ているヤクルトのコマーシャル。
最後の「隣のオヤジも」が気に入らないけれど
(決して1950年生まれの自分のことではないと言い聞かしてはいるが)
その映像のバックに流れている
(以前、iMacのCMに使われてもいた)ローリング・ストーズの「シーズ・ア・レインーボウ」風な
ピアノそのままに奏でてくれる七色の音色を楽しむことが出来る水琴窟が
製作当初からの理想でもあり
めざしている音なのです。

自 作 の 水 琴 窟 を 広 め 育 て る 推 進 運 動 (?_?)

恵法寺水琴窟 製作設計
     一度遊びに来て楽しんでください。自分の手で作りたくなると思います。

NPO(特定非営利活動)法人
     日本水琴窟フォーラム正会員 
 nagasaki tankei     
恵法寺住職 長 崎 湛 慶 までお問い合わせ下さい。



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