住職の気ままにちょっと…ひとりごと


「 ど っ こ い し ょ 」 六 根 清 浄  ( ろっこんしょうじょう )

  近ごろ人前でも「どっこいしょ」といって立つことが多くなってきた。五十代になったばか
りでは、「独り言のように言う分には許せるが、まだまだ人前で発する言葉ではない
な!」と思いつつもつい口をついて出てしまう。 
  ところが、以前、テレビに出ていた有名な先生が、動作を起こす時「どっこいしょ」とい
うのは大変に良いことだといっていた。脳に「さぁーこれから動くよ」と確実に命令をだす
事になるので安全だと言う。 
  どっこいしょの語源は、六根清浄が詰まって出来た言葉ではないかとも言われてい
る。
  六根とは、目、耳、鼻、舌、身の五根と(こころ)意(視、聴、嗅、味、触覚の五感に意)
加わったものである。
 昔から修行のため、六根清浄と唱えながら水をかぶったり、山に登った。それは、修
行の場である山や滝の清らかな自然の中に身を投じることによって、身体の各部分が
清められ、身も心も清くなる。更に、大自然に溶け込み、一体化していくという意味も込
められている。
 その後、仏教的にも医学的?にも自信を得たのか、ちょっとした動きにも堂々と「どっ
こいしょ!」「よっこらしょ!」といっている自分が滑稽に思える。




 寺 庭 の 草 木  ゴ  ン  ズ  イ

      天 人 五 衰   (てんにんごすい)

 恵法寺本堂西側では、秋彼岸の頃から、参拝者の多くが立ち止まり感嘆の声を上げ
る。その頭上では黒と赤の対比が美しい鮮紅赤に色づいたゴンズイの実が、そよぐ緑の
中で天女の舞を披露している。
 毒ビレがあり江戸の魚市場に出荷されることがないので一名"江戸見ず"とも呼ばれ"
ごみ・屑・役立たず・つまらぬ物"の意味をもつゴンズイという魚と同様に役立たず・つま
らぬ木ということで名付けられたとは、思えないほど鑑賞に耐える得る樹木である。
  美保の松原の羽衣伝説を題材にした三島由紀夫の小説「豊饒の海」の中の第四篇:
「天人五衰」では、天上界で遊楽している天女達の美しさも永遠ではなく、やがては衰え
醜くなっていくはかなさをわかりやすく綴っている。
 植物学の権威であった故中村浩博士は、歌人としても知られていた持統天皇の和歌
「天上の五衰の花も散るとかや」から(引導の中でも「天人も五衰をまぬがれず……」と
使われる)仏教用語の五衰がゴンズイの語源では?と牧野富太郎博士の弟子としての
確かさで説いている。
 この『「五衰(ごすい)」=と=「ゴンズイの実」』を中村博士の説で比較してみると
 頭の華かずら萎む=鮮かさを競った美しい赤色の皮も新鮮さを失いやがてしわがよ
る。腋の下より汗出ず=ゴンズイの木は臭気(わきがのにおい)をもち、水っぽいこの木
の枝を切ると汗のように水がしみでる。目まじろぐ=緋赤で包まれた黒真珠のような光
沢のある種子は、日にさらされると輝きを失う。黒い瞳が輝きを失ったようである。天衣
垢づき飛行心にまかせず=羽衣のように美しかった赤い皮も次第に黒ずんで汚れ花び
らのように風に舞飛ぶこともない。天女眷属に捨てられて一人林の中に仰ぎ臥して悲し
む=最後にゴンズイの実は、林の地上に落ちて一人寂しく腐敗していく。 
 五衰の意は、諸説があり「天上の五衰の花」も空想の花ではあるが、ゴンズイの実が
熟れて開いた姿は、鮮紅色で花のように美しく、紅葉もすばらしく、天女の姿である。更
に、真っ黒な瞳を想わせる種子も備わる。
 ところがこの美しい実もやがて世の常と同様に衰微する。まさに天人五衰の花であ
る。又、忌み名や言葉は、吉祥をあらわす言葉に変える場合があり、五衰も悲哀をあら
わす忌み名を嫌って、おめでたい五瑞(ゴズイ)と実名回避し、更に、ゴがゴンと変化した
ものという。
 こう眺めてくると、ゴンズイはまさに五衰(五瑞)の花と呼ばれるにふさわしい条件をす
べて備えている。植物図鑑に記されている「つまらない・役立たずの意味を持つ木」とは
呼べない。
 中村博士が由来を説いた植物名の中でも代表的な素晴らしい名の樹木、仏縁のある
木でもある。


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